夜のバス停

夜を走るバスのように、心に寄り添う親密な言葉を探して

"どこまでもつづくデコボコの
道を"

 

最近よく聴くスピッツのさざなみCD(やっぱり好きやー)

ルキンフォーより

 

"ダメなことばかりで折れそうになるけれど
風向きはいきなり変わることもある ひとりで起き上がる"

 

この1年こそ、もういいかげんきっといきなり

風向きは変わるよ!!😫

いつかの夕暮れ

さいごの太陽が照らす

ノスタルジックに幻想的に


まるでホビットたちが暮らす村のような


彼らの心のなかに

私たちの心のなかに

懐かしい場所のような


"神様は乗り越えられる試練しか与えない"

そんなこと他人に言える資格のある人がどれだけいるのか

自分に言い聞かせるならともかく


“Come on, Mr. Frodo. I can't carry it for you… but I can carry you!”

その覚悟を

花火を

もっと手が大きかったら 指が長かったら

今日ほど思ったことはない

ないものはない もっと頭を使わなければ

次に活かす決意


何年ぶりかの花火を楽しみにしていたかも


年に2回くらい 殊更につらいのは

100%の約束はできなくても

100%を出し切っても

意識と引き換えにわたしたちは祈りを預かったからなのだ

感受性のつかいみち

もやもや100%です

特定の個人との間に起こったことで一般化するつもりはありません


HSPを自称する人たちってやっぱり苦手かもしれない。

自分に対する配慮だけ求めて、自分の言動が相手を傷付けているかもしれないということには敏感ではないのだろうか??


人は多かれ少なかれセンシティブであると思う。

HSPとカテゴライズすることは好まないが、私自身はどちらかというとエンパス?ということになるのだろうか。

人間だけでなく、生物無生物問わずあらゆるものの"感情"を抱え込んでしまう。麻酔なしで心を切り刻まれるような痛み。

環境に対しても敏感なのは最近の後天的なもので。


その"感受性"にそっと寄り添ってもらえたら、誰かが傷つく前に救う方法を見つける力(=愛のようなもの?)に昇華させることができるのではないか。

感受性の"強さ""豊かさ"に昇華させることができるのではないか。

そして私もそんな誰かの心に寄り添うことができたら、とずっと思っている。

痛いくらい、祈るように。